日本農業遺産認定! 村岡ファームガーデンの但馬牛は「兵庫美方地域の但馬牛システム」で育成された但馬牛を提供しています。詳しくはコチラ


但馬牛物語(歴史について)

但馬牛とは

但馬牛イメージ
母なるブランド牛ともいえる「但馬牛」は、全国的にも有名な松阪牛や神戸牛の素牛なんです。
ようするに、もとをたどれば但馬牛ってことですね。
「但馬牛」って、育てる歴史はあるものの、食べる歴史には薄く、
松阪や神戸みたいに気軽に食べられるお店もなかなかないのが現状。
こちらのページでは、そんな但馬牛についてかかわりの深い人のお話や弊社レストランの社長の但馬牛の仮説論などをご紹介致します。
話がかわりますが、大阪城はご存知ですか?
豊臣秀吉が建てた、あの大阪城です。
大阪城を建てるとき、石垣を作るときの石を運ぶのに牛をつかっていたそうです。
全国からどの牛がいいだろう?と探したところ「但馬牛」が選ばれたそうです。
“無口で働き者”として当時、但馬牛は有名になったようです。
但馬牛イメージ
但馬牛イメージ
今の但馬牛が純血のブランド牛なのは「閉鎖育種」で育てられていたからだと言えます。
交通便もよくない田舎の山奥ゆえに閉鎖的。
当時不便のなにものでもなかったこの状況が、現在のブランド牛をつくりだしたのかもしれませんね。
閉鎖育種って聞きなれない言葉ですが、この閉鎖育種こそが、純血のブランド牛を守ってきたといえます。

松村 義男(まつむら よしお)さん

松村さんイメージ
1926年兵庫県生まれ
著書に「オナメだったら良かったね―但馬牛の傍らで―」がある
但馬牛の歴史に大きく貢献された獣医の松村さん。
獣医として昭和20年から但馬牛にかかわり「但馬牛の三原種」の交配の特色を研究し偉大なる原種牛達が産まれました。
この松村さんがいたからこそ、今の但馬牛があるのかもしれません。

前田 八十一(まえだ やそいち)さん

前田さんイメージ
1916年兵庫県生まれ
著書に「周助がはしる 但馬の牛の物語(前田利家)」がある
名牛、但馬の改良、繁殖に一身を投げ打った前田周助を先祖にもつ前田さん。
200年も前の話ではあるが、周助の秘話は代々受け継がれてるという。
剛直でやることがでっかく、実行力のある勉強家であったそうだ。

但馬牛の歴史

7世紀 但馬に牛が飼われていた
1798   前田 周助小代村水間字猪ノ谷に生まれる
1845   周助、周助蔓を造成
1849   但馬山名藩村岡牛市を開設
1853   ペルー浦賀来航
1867 明治元年  
1868 明治2年 神戸開港
1868 明治2年 神戸に日本初牛肉を提供「外国亭」「関門月下亭」できる
1870 明治4年 神戸に日本初牛肉の小売「大井精肉店」創業
1873 明治6年 但馬牛ウイン万国博に出品
1876 明治9年 美方郡兎塚村大笹に大笹牧場設置(兵庫県牧牛蕃殖場)*社長出身地
1883 明治16年 大笹牧場閉鎖
1890 明治23年 第3回内国勧業博覧会(東京)で但馬牛一等有功賞受賞
1898 明治31年 美方郡各村に牛籍台帳を設ける
1902 明治35年 ブラウンスイス種で但馬牛の改良を決定
1909 明治42年 県主催第1回産牛共進会が養父郡養父市場で開催
    改良但馬牛惨敗
1911 明治44年 政府洋種の輸入を中止、但馬牛自主改良へ
1921 大正10年 英国よりショートホーン種雄牛輸入
1922 大正11年 但馬地方で原因不明の流産、不受胎集団発生
1925 大正14年 ふき蔓の祖ふき号生る
1928 昭和3年 あった蔓の雌系の祖幸福3号生る
1936 昭和11年 但馬分場美方種牛所開設
1938 昭和13年 牛名協定:雄は漢字、雌は平仮名
1939 昭和14年 田尻号生る
1941 昭和16年 美方郡新蔓造成に乗り出す
1943 昭和18年 あつた蔓(美方郡東部)、ふき蔓(美方郡西部)の造成組合結成
1949 昭和24年 前田周助顕彰碑建立
1952 昭和27年 あった蔓組合公認さる
1954 昭和29年 名牛田尻号老衰死
1957 昭和32年 茂金波号生る
1958 昭和33年 ふき蔓牛組合公認
1959 昭和34年 よし蔓牛組合公認
1966 昭和41年 第1回全国和牛能力博覧会
1970 昭和45年 第2回全国和牛能力博覧会
1971 昭和46年 モダン但馬牛-『安美土井』生る(村岡ファームガーデンのブロンズ像)
1977 昭和52年 第3回全国和牛能力博覧会
1988 昭和63年 安美土井亡る